五箇条の御誓文は一朝一夕に作られたものではない。最初の原案を執筆したのは、越前藩士の由利公正だった。彼は財政・経済の才能に長け、坂本龍馬とも親交が深かった人物だ。由利が起草した5箇条の原案は、主に「庶民の志を立てさせること」や財政の健全化に重きを置いていた。経済の活性化と民心の安定こそが、新しい国造りの根幹であると考えたからだ。
この由利案に手を加えたのが、土佐藩の福岡孝弟である。福岡は領主や大名による合議体制を意識し、冒頭に「列侯会議」の色彩を強く打ち出した。しかし、これでは旧態依然とした大名政治の再来になりかねない。そこで最終段階でペンを執ったのが、明治政府の中枢を担う長州藩の木戸孝允だった。木戸は「列侯」という限定的な言葉を「広く」という普遍的な表現に書き換え、第5条に「智識ヲ世界ニ求メ」というグローバルな視野を付け加えた。この劇的な改変こそが、特定の藩の利害を超えたナショナル社会への扉を開いたのである。