物語の中盤から後半にかけて、久坂と田口の「至福の愉楽」は、欲望のエスカレーションとともに徐々に崩壊へのカウントダウンを始めます。読者を戦慄させた『愉楽にて』の結末は、決して単純な因果応報や道徳的な反省ではありません。林真理子特有のメスが切り込むのは、精神的な空虚さと「老い」という絶対的な敗北です。
中国人女性ファリンに狂おしい執着を燃やした田口は、彼女をシンガポールの超高級コンドミニアムに住まわせ、求められるままに巨額の資金を投じます。しかし、ファリンにとって田口は愛の対象ではなく、自らの野心とビジネスを拡大するための資金源に過ぎませんでした。彼女に別の若い実業家の影がちらつき始めた時、田口は精神的にも経済的にも完全に搾取されていた事実に直面し、かつての威厳を無惨に喪失していきます。
主人公の久坂にも残酷な黄昏が訪れます。複数の女性たちを手玉に取り、自らの男性的魅力を過信していた久坂ですが、関係を持っていた女性たちは次第にそれぞれの現実へと歩みを進めます。ある者は打算的に別の男へ乗り換え、ある者はあっさりと日常へ帰還していく。残された久坂は、妻との冷え切った家庭と、金銭の介在なしには誰も寄り付かない自らの老いた肉体に直面します。シンガポールの夜景を見下ろしながら、どんなに贅沢を尽くしても埋まらない底なしの孤独と、すべてを消費し尽くした後の虚無感を噛み締めるラストシーンは、日経連載時の読者を震撼させました。