王翦の軍歴において最大の衝撃となったのが、趙国北部の要衝を巡る「番吾(ひんご)の戦い」です。かつて鄴攻めにおいて、李牧が構築した不落の要塞網を「イナゴ戦略」と「列尾放棄」という前代未聞の奇策で打ち破った王翦ですが、この戦いでは李牧が仕掛けた周到な罠に足元をすくわれる形となりました。
戦局を決定づけたのは、青歌の主・司馬尚(しばしょう)の凄まじい突進力と、それを見越した李牧の誘導網です。王翦は中央軍同士の消耗戦を想定し、鉄壁の守備陣を敷いていたものの、司馬尚率いる青歌軍の突破力は常識的な戦術計算を遥かに凌駕していました。前線がこじ開けられ、王翦の本陣に司馬尚の矛が迫るという、かつてない肉薄の一撃に晒されたのです。
敗因の本質は、王翦が常に信奉してきた「盤面の数値計算」を、李牧が司馬尚という感情と愛郷心で動く人間爆弾を用いて粉砕した点にあります。自らの首級に司馬尚の切っ先が迫る極限状況にあっても、王翦は取り乱すことなく退路を選択しました。この手痛い敗戦が、のちの趙攻略における「ある冷酷な謀略」へと繋がっていく布石となります。