草薙の剣の本物はどこに?壇ノ浦水没の真相と熱田神宮・皇居の謎を追う

草薙の剣の本物はどこに?壇ノ浦水没の真相と熱田神宮・皇居の謎を追う

草薙の剣の本物はどこに?壇ノ浦水没の真相と熱田神宮・皇居の謎を追うの疑問点について、最新情報を取りまとめてご紹介します。

1185年(文治元年)4月25日、長門国壇ノ浦(現在の山口県下関市)で繰り広げられた源平合戦の最終局面において、平家一門は追い詰められ、二位の尼(平時子)は8歳の安徳天皇を抱きかかえて「波の下にも都がございます」と言い残し、関門海峡の荒波へと身を投じました。

『平家物語』や鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には、このとき安徳天皇とともに三種の神器のうち「八尺瓊勾玉」と「草薙の剣」が海底へ沈んだ様子が生々しく記録されています。後に勾玉の入った筥(はこ)は海上に浮かび上がり回収されましたが、宝剣だけはどれほど海中を捜索しても発見されることはありませんでした。

ここで重要な歴史的事実として整理すべきなのは、壇ノ浦で海に沈んだのは宮中に安置されていた「崇神天皇期に造られた形代の剣」であり、熱田神宮の御神体(本体)ではないという点です。

しかし当時の朝廷にとって、宮中の宝剣水没は王権の正統性を揺るがす深刻な国家危機でした。神器なきまま即位せざるを得なかった後鳥羽天皇の苦悩は深く、朝廷は1210年(承元4年)、伊勢神宮の内宮別宮である風日祈宮(かざひのみのみや)等に奉納されていた霊剣(または伊勢神宮より献上された神剣)を正式に新たな形代として迎える儀礼を執り行いました。この新たな形代が、現在も皇位継承儀礼「剣璽等承継の儀」で継承されている剣です。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。