藤子・F・不二雄の天才性を語る上で欠かせないのが、「漫画の神様」手塚治虫との知られざる関係性です。トキワ荘時代から手塚を師と仰ぎ、生涯のリスペクトを捧げ続けたF氏に対し、手塚治虫はF氏の才能に激しい嫉妬と脅威を感じていました。
手塚治虫は、自分以外の作家が脚光を浴びると露骨に対抗心を燃やすことで有名でした。『ドラえもん』が国民的メガヒットを記録し、アニメも社会現象となった1970年代後半、手塚は周囲の関係者に悔しさを滲ませながらこう漏らしたと伝えられています。
「あの作品は僕にも描けた。日常の中に異質なものを放り込むアイディアは、僕の『鉄腕アトム』や初期作品の延長線上にあるはずなんだ」
しかし、手塚は同時にF氏の構成力の恐ろしさを誰よりも深く理解していました。手塚の作品がダイナミックな激情や劇的なドラマ性で読者を圧倒するスタイルだったのに対し、F氏のペンは「感情の揺らぎを排除したかのような精密な時計仕掛けのロジック」で動いていました。無駄なコマが一切なく、起承転結がわずか十数ページの中に黄金比率で美しく収まるF氏の手腕に、手塚は嫉妬しながらも惜しみない賛辞を贈ったのです。
F氏の葬儀(1996年)に際し、多くの漫画関係者が「藤本さんは手塚先生が最も恐れ、最も認めていた正統な後継者だった」と口を揃えたエピソードは、漫画界のレジェンド同士にしか通じ合えない魂の火花を象徴しています。