千日回峰行の中で最も恐れられ、同時に宗教的クライマックスとされるのが、5年目(700日満行後)に課される「堂入り(どういり)」です。比叡山無動寺谷の明王堂に籠もり、9日間にわたる断食・断水・不眠・不臥(横になって眠ることも禁止)の状態で、十万遍の不動真言を唱え続けます。
堂入りに入る前、行者は俗世との縁を断つ「生前葬」を執り行います。親族や知人と今生の別れを告げ、棺桶の代わりに明王堂へと入る儀式は、文字通り自らの命を一度捨てることを意味します。
医学的見地から見れば、水すら一滴も飲まない状態が7日を超えれば多臓器不全や脱水症状によって生命維持が極めて困難になります。堂入り中の行者の身体には、想像を絶する劇的な変化が生じます。
- 入堂3日目:激しい喉の渇きと飢餓感。唾液が出なくなり、息からは強いケトン臭(飢餓臭)が漂い始める。
- 入堂5日目:深夜2時に井戸へ不動明王へ供える水を汲みに行く「取水(閼伽汲み)」の儀式が始まる。この頃から五感が異常に研ぎ澄まされ、数キロ先の灰の落ちる音や遠くの線香の匂いを感知するようになる。
- 入堂7日目以降:新陳代謝が極限まで低下し、皮膚からは死臭に似た特有の体臭が発生。脈拍は微弱になり、視力や体温調整機能も著しく低下する。
9日間の過酷な行を終えて堂から出てくる(出堂)際、行者は自力で立つことができず、左右を脇侍に支えられて姿を現します。その顔つきは生気を失い蒼白であるものの、眼光だけは澄み渡り、まさに「生きた不動明王」の姿そのものとして多くの信徒に拝まれます。この堂入りを無事に成し遂げることで、行者は「当行満行(とうぎょうまんぎょう)」となり、阿闍梨の位を授かります。