本作のもうひとつの主役と言えるのが、リアルな走行シーンと旅情を掻き立てるロケ地撮影場所の数々です。物語の発着点となるのは常に東京の雑踏でした。夜明が客を待つ銀座の数寄屋橋交差点付近、東京駅丸の内口、羽田空港、そして所属する大和交通の営業所(都内実在のタクシー会社車庫や城東エリアの倉庫街)など、日常の風景が緻密に切り取られています。
そして最大の見せ場が、物語中盤で訪れる「長距離客」の依頼です。「運転手さん、ちょっと遠いんだけど長野まで行ってくれる?」「会津若松まで頼む」といった乗客の一言から、タクシーは中央道や東北道、関越道をひた走ります。伊豆半島、松本、金沢、山形など、風光明媚な地方都市が舞台となり、乗客が秘めていた過去の傷痕と事件の真相が旅路とともに暴かれていきました。
渡瀬恒彦自身、かつて大型二種免許の取得を検討したほどの車好きで知られ、走行シーンのリアリティには並々ならぬこだわりを持っていました。深夜のタクシー車内という「走る密室」で交わされる乗客との静かな会話は、密室劇でありながらロードムービーでもあるという独自の映像美を生み出していたのです。