しゅうの電撃脱退によって、残された4人のメンバー(つんく♂、はたけ、まこと、たいせー)は極めて過酷な現実に直面しました。テレビ各局は出演番組の差し替えに追われ、タイアップ企業への対応やCMの降板など、負の余波は瞬く間に拡大。デビュー前から苦楽を共にし、大阪城公園のストリートライブから這い上がってきた盟友の不祥事に対し、メンバーは公の場で頭を下げ続ける日々を余儀なくされました。
その後、サポートベーシストを迎えて音楽活動の継続を模索したものの、5人で完成されていたアンサンブルとグルーヴ、そして何よりメンバー間の精神的な結束には修復しがたい亀裂が生じていました。さらに時期を同じくして、ボーカルのつんく♂が音楽プロデューサーとして手掛けた「モーニング娘。」が社会現象的な大ヒットを記録。プロデュース業の多忙化とバンドの求心力低下が重なり、グループとしての機能維持は限界に達しつつありました。
結果として、事件から約2年後の2000年12月、シャ乱Qは「活動休止」を正式発表。会見では解散ではなく「休憩」という言葉が選ばれましたが、実質的にはしゅうの逮捕によって生じた歪みがバンドの歩みを完全に止めてしまった瞬間でした。シャ乱Qの活動休止の経緯を辿ると、しゅうの脱退がバンドの運命を決定づけた最大の分水嶺であったことは疑いようのない事実です。