なぜ日本を含む近代社会では「7色」という基準がこれほど深く根付いたのでしょうか。その発端は、近代物理学の父と呼ばれるアイザック・ニュートン(Isaac Newton, 1642–1727)の研究に遡ります。
当初は「5色」と記録していたニュートン
1666年、ペスト流行による大学閉鎖に伴い故郷ウールスソープに滞在していたニュートンは、暗室の雨戸に開けた小さな穴から太陽光を採り入れ、プリズムを通す実験を行いました。光が屈折して壁に虹色の帯(スペクトル)を描くのを確認した彼は、当初の手記において色を「赤・黄・緑・青・紫」の5色として記述していました。 人間の知覚としても、プリズムの光をパッと見て直感的に識別しやすいのはこの5色です。ではなぜ、彼はわざわざ「橙(Orange)」と「藍(Indigo)」の2色を付け足して「7色」へと変更したのでしょうか。
音楽の7音階と「神が創りたもうた調和」への憧憬
ニュートンが虹を7色に拡張した背景には、当時のヨーロッパ知識人を支配していた古代ギリシャのピタゴラス的宇宙観と音楽理論がありました。 ピタゴラス以来、西洋の神秘学および数学では、全音階(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)の「7つの音」が天球の運行と調和していると考えられていました。ニュートンは光もまた自然界の根源的調和を体現しているはずだと確信し、光の波長スペクトルの広がりを、音のオクターブ(音階の振動数比)と数学的に対応させようと試みたのです。 さらに、西洋キリスト教世界において「7」は天地創造の7日間をはじめとする神聖な完全数でした。ニュートンは近代合理主義の創始者であると同時に、生涯を通じて錬金術や聖書解釈に没頭した神秘主義者でもありました。彼にとって、光のスペクトルを美しく完全な「7」という数で完結させることは、自然界の背後にある神の調和を証明する不可欠な論理的帰結だったのです。 この成果が1704年の名著『光学(Opticks)』として出版され、近代科学の教科書として世界中に普及した結果、日本にも明治期の近代教育導入に伴って「虹=7色」という概念が輸入され、定着するに至りました。