この名木が宿す圧倒的な気品は、その足元に眠る重厚な歴史と深く結びついています。地元で長年「王仁塚(わにづか)」あるいは「鰐塚」と書き継がれてきたこの地には、主に二つの起源説が口伝されています。
一つは、古代の英雄・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の王子である武田王(たけだのおおきみ)の御陵(墓)であるという説です。塚の前には小さな祠が祀られており、かつて甲斐源氏の発祥として栄えた武田の郷の祖霊が眠る地として、住民から畏敬の念をもって保護されてきました。もう一つは、百済から千字文と論語を日本へ伝えたとされる学者「王仁(わに)博士」に由来するという説、あるいは塚の形状が鰐口(わにぐち)に似ていることから名付けられたという民俗的見解です。
この神聖な塚の上に、江戸時代初期に植えられたとされる苗木が、風雪に耐えながら樹齢約330年の大樹へと成長しました。幹周りは3メートルを超え、枝張りは東西に20メートル以上にも達します。
その唯一無二の佇まいが全国区の知名度を得たきっかけは、映像メディアの進出でした。2004年に放映されたTBS系愛の劇場『桜咲くまで』のオープニング映像のメインビジュアルとして抜擢された経緯があり、さらにはNHK大河ドラマ『風林火山』の関連ビジュアルや数々の有名企業のテレビCMのロケ地として起用されたことで、「奇跡の一本桜」としての名声は不動のものとなったのです。