「御三家」という呼称は、もともと徳川幕府における尾張・紀州・水戸の徳川三家を指す歴史用語でした。これがエンターテインメントの世界へ転用された発端は、1960年代初頭のメディア戦略にあります。当時、絶大な発行部数を誇っていた集英社の『明星』や平凡出版(現・マガジンハウス)の『平凡』といった芸能月刊誌が、台頭著しい若手人気歌手3人を束ねて特集を組んだことが定着の契機となりました。
日本が高度経済成長期へと突き進むなか、若者層の購買力向上とテレビの急速な普及が重なり、大衆音楽の主役は大人から10代〜20代へと急速にシフトしていました。レコード会社各社が次世代のスター育成にしのぎを削るなか、異例のスピードでトップに駆け上がったのが元祖御三家と呼ばれる3名でした。
昭和歌謡史における彼らの足跡を時系列で整理すると、その鮮烈なデビュー順と独自のポジショニングが浮かび上がります。
まず先陣を切ったのが、1960年7月に「潮来笠」で鮮烈なデビューを飾った橋幸夫です。ビクターレコードの看板として、師匠・吉田正が手がけた都会派の股旅歌謡で瞬く間に日本レコード大賞新人賞を受賞しました。美空ひばりと並ぶ国民的アイコンとなり、1962年には吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」で第4回日本レコード大賞を受賞。わずか19歳にして歌謡界の頂点に君臨しました。
続いて1963年6月、日本コロムビアから「高校三年生」で登場したのが舟木一夫です。詰襟の学生服姿で哀愁を帯びたメロディを歌い上げる姿は、当時の高校進学率急増という社会潮流と完璧に合致しました。発売わずか1年で100万枚を突破するメガヒットとなり、「学園ソング」という一大ジャンルを確立します。
そして1964年2月、日本クラウンの第一号専属歌手として「君だけを」でデビューしたのが西郷輝彦です。クラウンレコードが総力を挙げて送り出した西郷は、甘いマスクと躍動感あふれる歌唱、軽快なステップで若者の心を掴み、「十七才のこの胸に」などのヒットを連発しました。薩摩隼人の気骨を感じさせる精悍なキャラクターは、先行する2人とは異なる野性味を放ち、ここに「元祖御三家」のトライアングルが完成したのです。