小池氏のメディア人生の出発点は、既存の女子アナウンサーの王道ルートとは完全に異なっていました。関西学院大学を中退後、エジプトへ留学して1976年にカイロ大学文学部社会学科を卒業。中東情勢が激動を極めていた1970年代後半、希少価値の極めて高かった「アラビア語通訳」としてキャリアの第一歩を刻みます。
1978年、日本テレビの特番でPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長や、リビアのカダフィ大佐といった国際政治の超大物への単独会見が企画された際、小池氏はコーディネーター兼通訳として参加しました。現場で物怖じせず要人と丁々発止のやり取りを繰り広げる姿が制作陣の目に留まり、「この語学力と度胸を持つ女性を画面に出さない手はない」とテレビ出演への道が開かれます。
その才能をいち早く見抜いたのが、昭和の論壇・テレビ界の巨人であった竹村健一氏でした。1979年からスタートしたフジテレビ系の長寿番組『竹村健一の世相を斬る』のアシスタントに抜擢された小池氏は、竹村氏の鋭い語り口を受け止めつつ、物事の要点を的確に整理する役割を担いました。自著『振り袖、ピラミッドを登る』などの手記でも、この時期に竹村氏から学んだ「大衆に届く言葉の選び方」「時代の空気の掴み方」が、後のキャスター・政治家人生の血肉となったと振り返っています。