世間の多くの人々は、「室生犀星が東京の寒々とした下宿で、遠い故郷・金沢の美しい自然を懐かしんで書いた詩」だと信じ込んでいます。しかし、金沢市教育委員会や室生犀星記念館が保管する一次資料および文学史の研究において、この通説は明確に否定されています。
定説として確立されている史実は、「犀星が失意のどん底で故郷・金沢に滞在していた時期に書かれた」という衝撃的な事実です。
明治43年(1910年)、文学での成功を夢見て20歳で上京した犀星でしたが、現実は残酷でした。仕事も名声も得られず、飢えと極貧に打ちのめされた彼は、わずか半年あまりで挫折。這々の体で故郷の金沢へと逃げ帰ることを余儀なくされました。
傷心の彼を金沢で待っていたのは、温かい出迎えではなく、冷淡な侮蔑の視線でした。「都会へ出て失敗し、逃げ戻ってきた男」という世間の冷たい目。かつて自分を差別し、冷遇した狭量な地域社会の閉塞感に、犀星は激しい窒息感を覚えます。
つまり、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という第一行の真意は、「ふるさとなどという場所は、遠く離れて美化しているからこそ愛せるのであって、実際に足を踏み入れれば醜悪で耐えがたい現実にすぎない」という痛恨の皮肉であり、自己への戒めだったのです。