インターネット上の雑学記事などでは「昔のタンスには車輪がついていてゴロゴロ転がして逃げた」という解説を見かけることがありますが、これは歴史的な事実関係を一部取り違えた誤解です。江戸時代前期には確かに、底部に4つの木製車輪を付けた「車長持(くるまながもち)」や「車タンス」と呼ばれる大型家具が富裕層を中心に大流行しました。
しかし、これが思わぬ大惨事を招きます。1657年の明暦の大火の際、住民たちが巨大な車長持を道路へ一斉に押し出したため、城下の狭い路地や大通り、浅草橋などの避難経路が家財道具で完全に塞がれました。後方から逃げてきた数万人の町民が炎に巻かれ、避難路の封鎖が甚大な犠牲者を出した主因と指摘されたのです。江戸幕府はこの事態を重く見て、大火直後に「車付の長持・タンスの製造および使用を全面的に禁止」する町触れ(御触書)を発令しました。
車輪による移動を禁じられた町民たちが再導入したのが、軽量な桐材を用いたタンスと、両脇に金具を設けて「棹を通して担ぐ」搬送スタイルでした。荷車のように道を塞ぐことなく、人混みの中でもすれ違いながら運べるこの方式こそが、幕府の規制を遵守しつつ財産を守る唯一の手段となったのです。もし車タンスが禁止されずに普及し続けていれば、現代のタンスの数え方は「1両」や「1台」になっていたかもしれません。「1棹」という単位が今に残る背景には、幕府の都市防災政策と悲劇の教訓が存在しています。