1867年10月14日、慶喜が明治天皇に政権返上を奏上した大政奉還。一見すると倒幕派に追い詰められて白旗をあげたかのように受け取られがちですが、その内情はまったく異なっていました。
慶喜の狙いは、薩摩藩や長州藩が掲げる「武力倒幕の大義名分」を根底から奪い去ることにありました。当時、京都の朝廷には行政や外交をこなす組織も官僚も資金も存在していません。形式的に政権を朝廷へ返したところで、実際に国を動かせるのは膨大な領地と実務官僚を抱える徳川家だけでした。
慶喜が思い描いていたのは、諸侯による合議制議会を創設し、自らがその議長(実質的な国家元首)として君臨する近代国家の青写真です。水戸藩出身(第9代藩主・徳川斉昭の七男)として幼少期から卓越した頭脳を叩き込まれ、フランス公使ロッシュらと緊密に連携していた慶喜だからこそ導き出したウルトラCの政略でした。