多くの初見の視聴者が抱く疑問が、「なぜ松恵が主役のように描かれているのに、タイトルは『鬼龍院花子の生涯』なのか」という点です。ここには、原作者と映画制作者双方が意図した深い皮肉と人間心理が隠されています。
鬼龍院政五郎にとって、花子は血を分けた唯一無二の「お姫様」であり、組の繁栄と自身の男としての誇りの象徴でした。一方で松恵は、どれほど利発で尽くそうとも「所詮は拾い子の養女」という理不尽な身分差を突きつけられ続けます。しかし、皮肉にもその溺愛が花子の自立心を奪い、家が崩壊した途端に破滅へと導く毒となったのに対し、冷遇された松恵は逆境を糧に逞しい生命力を育んでいきました。
つまり、「花子の生涯」とは、権力と男社会の栄華が崩壊していく過程を一身に背負わされた犠牲者の記録であり、その対極に位置する松恵の自立を浮き彫りにするための鏡像なのです。松恵が最後に花子の遺骨を抱くとき、そこにあるのは憎しみではなく、同じ過酷な時代を生きざるを得なかった一人の女に対する深い憐憫と連帯感でした。