地図アプリで「桶狭間古戦場」と検索すると、北西に位置する名古屋市緑区の「桶狭間古戦場公園」と、約1.5km東に位置する豊明市の「桶狭間古戦場伝説地」の2つがヒットします。この現象は観光客をしばしば困惑させますが、背景には江戸時代から続く地域ごとの伝承と、近代の史跡行政が深く関わっています。
豊明市側の「桶狭間古戦場伝説地」は、大正12年(1923年)に国の指定史跡となった歴史を持ちます。江戸時代後期の尾張藩主・徳川斉朝が建立した七墓や、今川義元戦死の碑が古くから残されており、「由緒ある公式史跡」としての格式を誇ります。一方、名古屋市緑区側の「桶狭間古戦場公園」は、義元の本陣が置かれ、最期を迎えたとされる字地「おけはざま山」の麓に位置し、地元有志や自治体によって徹底的な合戦ジオラマや顕彰碑が整備された体感型スポットです。
両地が対立関係にあるわけではありません。本来の桶狭間の戦いは、数万の将兵が数キロメートル四方の丘陵地帯で衝突した大規模な遭遇戦・追撃戦でした。前衛の衝突から本隊の崩壊、義元の討死に至る過程が広範囲で展開されたため、双方が合戦の決定的な舞台であったというのが近年の歴史地理学における統一的な見解です。