急激に視界が二重になる現象に直面した際、多くの人が「脳梗塞ではないか」「失明するのではないか」とパニックに陥ります。このとき生じている現象の正体を理解するためには、まず外転神経の働きと解剖学的な特徴を知る必要があります。
外転神経は、脳幹(橋:きょう)から伸びる12対の脳神経のうち「第VI(6)脳神経」に分類される運動神経です。眼球の周囲には視線を動かすための6本の外眼筋が存在しますが、外転神経は眼球を外側(耳側)へ引っ張る唯一の筋肉である外直筋の支配神経として単一の役割を担っています。
この神経が何らかの要因で麻痺を起こすと、外直筋が収縮できなくなり、眼球を外側に向けることができなくなります。その結果、正常に動く内側の筋肉(内直筋)の牽引力に負けて患側の黒目が内側に寄る「内斜視(ないしゃし)」が生じます。これが外転神経と複視の初期症状の根本的な原因です。
外転神経麻痺による複視には、以下のような際立った臨床的特徴があります。
- 水平方向のダブり:物が上下や斜めではなく、左右水平方向に並んで2つに見える。
- 患側を見たときにズレが拡大:例えば右眼の麻痺であれば、正面を見ているときよりも右側を向いたときに2つの像の間隔が極端に広がる。
- 代償的な顔の向き:複視のズレを減らすため、無意識に麻痺がある側へ顔を向けて物を見る姿勢(顔回し)をとるようになる。
- 片目を隠すと正常化:両眼視による像の不一致が原因であるため、どちらか片方の目を遮蔽するとダブりは消失する。
解剖学的に見て、外転神経は脳幹を出てから眼窩内の外直筋に到達するまでの頭蓋内走行距離が非常に長いという脆弱性を抱えています。頭蓋底の硬膜下を通り、側頭骨錐体尖の狭い間隙(ドレロ管)を抜け、海綿静脈洞という血管のトンネルを通るため、頭蓋内圧の上昇や局所的な炎症、血管病変の影響を極めて受けやすい構造になっているのです。