徳川将軍家の系譜は、初代・家康から第15代・慶喜で幕末を迎えたのち、明治期に「徳川宗家」として再編されました。歴史ファンの間でしばしば疑問に上るのが、「現在の徳川宗家は徳川家康の完全な直系男子の血筋なのか」という点です。日本の華族制度や名門の歴史を紐解くと、そこには養子縁組を重ねて家名を存続させてきた緻密な家系戦略が存在します。
幕末に第15代将軍となった徳川慶喜は大政奉還後に謹慎し、宗家の家督は田安徳川家出身の徳川家達(いえさと)氏が第16代当主として継ぎました。家達氏は明治から昭和にかけて貴族院議長を30年以上にわたって務め、ワシントン海軍軍縮会議の全権委員や日本赤十字社社長を歴任するなど、近代日本の重鎮として多大な功績を残しました。
その後、第17代当主となった徳川家正(いえまさ)氏は外交官として駐カナダ公使や貴族院最後の議長を務めましたが、長男が早世したため、家正氏の長女・豊子氏と会津松平家(松平容保の孫・松平一郎氏)の間に生まれた次男・恒孝氏が養子に入り、第18代当主を継承しました。会津松平家は徳川第2代将軍・秀忠の血を引く保科正之を祖とする家系であるため、血脈の観点からも徳川の血筋が色濃く合流しています。
現在、第19代当主の家広氏に至る家系図は、単なる血縁の直線性以上に、「徳川の家格と文化的責任をいかに守り抜くか」という歴史的知恵の結晶として受け継がれているのです。