性格診断として広く定着している右脳派・左脳派という概念ですが、現代の脳科学において「右脳派・左脳派の人間が存在する」という言説は否定されています。国際的な認知神経科学の学会でも、これは「ニューロ神話(Neuro-myth:科学的根拠を欠いた脳にまつわる俗説)」の代表格として位置づけられています。
誤解の発端となったのは、1960年代から1970年代にかけて行われたノーベル生理学・医学賞受賞者ロジャー・スペリー博士による「分離脳研究」です。てんかん治療のために左右の脳をつなぐ脳梁を切断した患者を観察した結果、左脳が言語処理や計算を司り、右脳が空間認識や非言語的パターン処理を担っているという「側性化(機能局在)」が発見されました。
この医学的知見が自己啓発本や教育ビジネス、メディアを通じて一般に広まる過程で、「左脳=論理的・冷徹」「右脳=直感的・創造的」というステレオタイプへと飛躍し、さらには「個人の性格や才能を決定づける優位性がある」という過度な拡大解釈へと変貌を遂げていきました。
医学界の結論を決定づけたのが、米ユタ大学のジャレッド・ニールセン博士らの研究チームが実施した大規模調査です。研究チームは7歳から29歳までの健常な被験者1,011名を対象に安静時fMRI(機能的磁気共鳴画像法)データを解析し、約7,000の脳領域における機能的結合を詳細に調べ上げました。2013年に発表されたその論文は、極めて明快な事実を突きつけています。
「特定の人が左脳のネットワーク全体、あるいは右脳のネットワーク全体を一貫して強く使っているという神経学的な証拠は見当たらない」。つまり、個人レベルで「左脳が支配的」「右脳が支配的」という偏りは脳機能上に存在しないことが立証されたのです。
2026年現在の脳機能研究では、最新のコネクトーム(全脳神経回路マップ)解析によって、脳は左右独立のパーツではなく、「全脳が緊密に連携するネットワークシステム」として機能していることが常識となっています。数学の問題を解くときにも右脳の空間イメージ処理が動員され、絵画を描くときにも左脳の文脈構成力や段取り能力がフル稼働しています。私たちが発揮する創造性や論理的思考は、左右の脳が脳梁を介して膨大な信号をミリ秒単位で交わし合う「共同作業」の賜物です。