竹下登が消費税導入に執念を燃やした背景には、昭和後期から積み残されてきた「直間比率の是正(直接税と間接税のバランス調整)」という大蔵省(現・財務省)悲願の課題がありました。
当時の日本は、所得税や法人税といった直接税への依存度が約73%に達しており、サラリーマン層からは「クロヨン(9・6・4)」「トーゴーサン(10・5・3)」と呼ばれる不公平税制への不満が渦巻いていました。さらに急速に進む高齢化を見据え、現役世代の所得税だけに頼る財政構造は限界を迎えることが明白だったのです。
過去を振り返ると、1979年に大平正芳首相が「一般消費税」を打ち出して衆院選で敗北し、1987年には中曽根康弘首相が「売上税」を公約違反の批判の中で断念しました。歴代の有力首相がことごとく討ち死にしたこの巨大な壁に対し、竹下は自民党幹事長時代から培った野党対策、業界団体への綿密な利害調整、そして大蔵官僚との阿吽の呼吸を武器に挑んだのです。
竹下は税率を諸外国よりも圧倒的に低い「一律3パーセント」に抑え、中小零細企業への配慮として「簡易課税制度」や「免税点制度(売上3,000万円以下免税)」という手厚い抜け道を用意しました。この徹底した妥協と配分工作こそが、法案成立を可能にした政治技術であり、同時に後々の不公平感を生む種税の構造的欠陥ともなりました。