時計の針を半世紀ほど巻き戻そう。この壮大なプロジェクトの引き金を引いたのは、四国出身の宰相として知られる大平正芳元首相である。全国新幹線鉄道整備法に基づき、四国新幹線計画が基本計画として格上げされた1970年代、日本は空前の建設ラッシュと国土開発の熱気にあふれていた。本州と四国を強固に接続し、一体的な経済圏を創出する——その野望の中核に位置づけられたのが大鳴門橋だった。
当時、橋の設計と施工を担った本州四国連絡高速道路株式会社(旧・本州四国連絡橋公団)は、将来の列車走行による苛酷な荷重に耐えうる構造を考案した。オイルショックや財政難の荒波に揉まれ、新幹線部分の先行着工は見送られたものの、橋の骨格にはあらかじめ新幹線を通せる設計が組み込まれた。その結果として、今日まで続く「巨大な空洞」が海上に残されることとなった。