忠犬ハチ公はなぜ10年待ったのか?焼き鳥説の真相と解剖の全貌

忠犬ハチ公はなぜ10年待ったのか?焼き鳥説の真相と解剖の全貌

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ハチ公の行動の原点を知るには、飼い主である上野英三郎(うえの ひでさぶろう)博士との短くも濃密な日々に目を向ける必要があります。上野博士は東京帝国大学(現・東京大学)農学部教授であり、日本の農業土木学の礎を築いた碩学でした。無類の愛犬家であった上野教授は、1924年(大正13年)の初め、秋田県大館市から生後間もない純血の秋田犬の子犬を取り寄せました。それがハチです。

項目詳細・数値データ一般的な基準・俗説編集部の見解・史実の評価犬種と体格秋田犬(大型犬)
体高約61cm、体重約33kg中型犬(柴犬程度)と誤認されることが多い警戒心が強く、飼い主以外に懐きにくい一代一主の気質が行動の根幹にある。教授との共同生活1924年1月〜1925年5月
(実質1年4ヶ月)幼少期から何年も長く一緒に暮らしたと思われがちわずか1年余りの強い情動記憶が、残りの生涯(約10年間)を決定づけた。待ち続けた期間1925年5月〜1935年3月
(9年9ヶ月・約10年)毎日休まず駅の改札前に座り続けていたという印象預け先から通い、晩年は持病の悪化や衰弱から駅周辺でうずくまる日も多かった。最終的な確定死因フィラリア症および心臓・肺の悪性腫瘍(末期癌)焼き鳥の竹串が胃を突き破った事故死胃内に竹串はあったが臓器穿孔はなく、2011年東大の科学鑑定で癌と判明。

1925年(大正14年)5月21日、教授会の後に上野教授は脳溢血で倒れ、急死します。当時1歳半だったハチ公は、突然帰らなくなった主人を探し続けました。葬儀の日も、教授の棺の下から動こうとしなかったと記録されています。忠犬ハチ公の生涯年表において、この1925年5月21日こそが、10年に及ぶ果てしない待機の始まりとなったのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。