彼女の歩んだ宍戸江利花 経歴は、決して平坦なものではありませんでした。米軍人であった黒人の父と日本人の母との間に生まれた彼女は、昭和の時代背景も相まって、幼少期から容姿に対する心ない偏見や差別に晒され続けました。当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「自分が何者なのか分からず、母と二人で泣いた夜もあった」という生の告白は、多くの人々の心を激しく揺さぶりました。
そんな過酷な日常の中で出会ったのが、当時全盛期を誇っていた全日本女子プロレス(全女)でした。ジャガー横田らの強さに救いを見出した彼女は、「リングの上であれば、自分の体格やルーツがすべて最大の武器になる」と確信し、中学卒業と同時に全女の門を叩きます。
入門後の練習は過酷を極めましたが、天性のバネと負けん気で頭角を現すと、ヒール軍団「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」で大ブレイク。1990年のブル中野との金網デスマッチは、日本のプロレス史に刻まれる金字塔となりました。1995年には米国最大の団体WWF(現WWE)のPPV『サバイバー・シリーズ』に参戦し、チームを一人で壊滅させる圧巻のパフォーマンスを披露。世界中にその名をとどろかせました。
しかし、ブレイク直前の1988年、最も愛し支え合ってきた最愛の母が病により急逝。失意の底に突き落とされながらも、「母に最高の景色を見せる」という一心で闘い続けたプロ根性は、今もマット界の語り草となっています。