バラエティ番組では「娘に怒られてばかりの陽気なお父さん」という親しみやすい顔を見せる弘之氏ですが、日本のポピュラー音楽史においては教科書に載るレベルの偉業を成し遂げた人物です。高嶋ちさ子 父親 経歴を紐解くと、昭和の音楽産業を根底から変えたパイオニアとしての姿が浮き彫りになります。
早稲田大学文学部を卒業後、1959年に東芝音楽工業(のちの東芝EMI)に入社。洋楽の制作・宣伝ディレクターを担当することになった弘之氏は、1964年にイギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」の日本展開を命じられます。当時、まだ海のものとも山のものともつかなかったロックバンドを売るため、弘之氏は型破りな宣伝戦略を次々と打ち出しました。
『抱きしめたい(原題:I Want to Hold Your Hand)』をはじめ、日本盤レコードのキャッチコピーや邦題の数々を命名。ラジオ局への猛烈なプロモーションや、レコード店を巻き込んだムーブメントの創出によって、高嶋弘之 ビートルズの日本上陸は社会現象へと発展しました。その後も由紀さおりの『夜明けのスキャット』を大ヒットさせるなど、敏腕音楽プロデューサーとして数々のミリオンセラーを世に送り出しています。