問題の文章は、推古天皇の摂政を務めた聖徳太子が604年に定めたとされる「十七条憲法」の冒頭、第1条に登場する。全文を読み解くと、その意図はより明確だ。「和を以て貴しとなす」に続く一節には、「忤(さか)ふこと無きを宗とせよ」とあり、一見すると反論を許さない体制づくりを目指したようにも受け取れる。だが、条文の後半には「上和(かみなご)やかに下睦(しもむつ)びて、事を諧(はか)るに論(あげつら)ふときは、事理自ずから通ず」と記されているのだ。
ここにこそ、憲法の神髄がある。「上も下も和やかに打ち解けて意見を議論し合えば、どのような問題も自ずと筋道が通り、解決に至る」という意味だ。つまり、意見の対立を恐れて口をつぐむことではなく、オープンな対話によって合意を形成するプロセスこそが「和」の本来の姿であった。無批判な服従を求める同調圧力とは、似て非なる概念だったのだ。