渥美清の死因、なぜ隠し続けた?寅さん壮絶な最期の真相

渥美清の死因、なぜ隠し続けた?寅さん壮絶な最期の真相

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1996年8月4日午後5時19分、渥美清(本名:田所康雄)さんは、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で息を引き取りました。享年は満68歳。報道各社が速報として伝えた直接の死因は「転移性肺がん」でした。訃報が流れた当時、日本中が「あの元気な寅さんがなぜ」と深い衝撃に見舞われましたが、その闘病の歴史は10数年以上に及ぶ長い戦いでした。

渥美清さんの健康不安は、芸能界でのブレイク前にまで遡ります。1928年(昭和3年)に現在の東京都台東区上野で生まれた渥美さんは、浅草フランス座などのストリップ劇場で専属コメディアンとして腕を磨いていた20代半ば、当時不治の病と恐れられていた肺結核に倒れました。埼玉県富士見町の療養所で約2年間の療養生活を余儀なくされ、右肺の切除手術を受けて片肺となっていました。この若い頃の過酷な体験が、身体の頑健さへの過信を戒めると同時に、自らの命の期限を常に意識する死生観を形作ったといわれています。

その後、映画『男はつらいよ』の大ヒットで国民的スターへと駆け上がった渥美さんを再び病魔が襲ったのは、1970年代後半のことでした。俳人としての渥美清の足跡を記録したルポルタージュ『風天 渥美清のうた』や近親者の証言によると、この時期に肝臓がんの宣告を受け、周囲に悟られないよう極秘裏に治療を続けていたとされています。そして1991年(平成3年)、定期検診においてがんが肺へ転移していることが判明。医師からはすでに容易ならざるステージにあることが告げられていました。

片肺を失っていた渥美さんにとって、残された肺への転移は呼吸機能の著しい低下を意味していました。歩行時の息切れや激しい倦怠感に襲われながらも、年に2本(後期は年1本)制作される『男はつらいよ』の撮影スケジュールに穴をあけることは一度もなく、抗がん剤治療や入退院の事実を世間から完全に遮断したまま、スクリーンに立ち続けたのです。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。