日本の地下鉄の歴史を紐解く上で、欠かすことができない人物がいる。「地下鉄の父」と称される早川徳次だ。大正時代、欧米の主要都市で地下鉄を目の当たりにした早川は、東洋初となる本格的な地下鉄道の建設に情熱を注いだ。彼の執念によって1927年に開通した浅草―上野間(現在の東京メトロ銀座線)が、日本の都市交通の新たな扉を開いたのである。
早川が描いた路線網構想は非常に先進的であったが、当時の工事技術や資金調達の制約、さらにその後の急速な都市拡大によって、計画の変更を余儀なくされる局面も多かった。新ルートの建設やバイパス線の整備に伴い、当初作られたホームや連絡通路が不要となり、結果として「幻のホーム」として残されることになった。
初期の建設現場では、すべて手掘りや開削工法によって地下が掘り進められた。そこに刻まれた無骨なコンクリート壁や職人たちの手仕事の痕跡は、日本初の地下鉄建設にかける情熱を現代に伝える無言の証人である。