現代の日本人がイメージする神社の序列意識は、1871年(明治4年)の太政官布告によって制定された「近代社格制度」が源流となっています。それ以前の平安時代にも『延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)』に基づく官社制度(名神大社・小社)がありましたが、明治政府は国家神道体制を構築するため、神社を公的な国家祭祀機関としてピラミッド型に再編しました。
制度下の最上位は、国費から幣帛(へいはく)が供進される「官幣社(かんぺいしゃ)」と地方官庁が関与する「国幣社(こくへいしゃ)」からなる「官国幣社」でした。それぞれ「大社・中社・小社」に細分され、その下に一般の「府社・県社・郷社・村社・無格社」が連なる厳格なヒエラルキーが敷かれたのです。
しかし、1945年の太平洋戦争敗戦とGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による「神道指令」によって、この社格制度は廃止に追い込まれました。国家と宗教の完全分離が命じられ、すべての神社は一律の「民間宗教法人」となったのです。
そこで生じたのが、「社格が消えた後、どの神社が指導的立場を担うのか」という現場の統率問題でした。1946年に全国の神社の約9割を包括する組織として「神社本庁」が設立された際、旧官国幣社やこれに準ずる有力神社を一般神社と区別して人事・事務管理を行う規定が設けられました。これが現在も続く「別表神社(べっぴょうじんじゃ)」です。
神社本庁の役職員進退に関する規程の別表に記載された神社であることからその名が付き、2026年現在、全国約8万社のうち別表に名を連ねるのはおよそ350社(全体の0.4%強)に過ぎません。法的な序列は消滅したものの、別表神社に指定されているか否かが、実質的な名門社・大社・神宮の社会的格式を示す客観指標となっています。
さらに格式の頂点を語る上で欠かせないのが「勅祭社(ちょくさいしゃ)」の存在です。天皇陛下の名代である勅使(ちょくし)が派遣され、御幣物が奉納される例祭を行う神社であり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社)、伊勢神宮、熱田神宮、出雲大社、明治神宮、橿原神宮、宇佐神宮、香取神宮、鹿島神宮など全国で16社のみに限られています。