昭和から平成にかけて、日本の小売業は急激な近代化の波に洗われた。その荒波の先頭に立っていたのが彼である。単にモノを売る場所としての百貨店ではなく、人々が集い、語らう「広場」としての店舗づくりを徹底した。その決断力は時に強引とも映ったが、結果として天神を九州一の繁華街へと育て上げる原動力となった。
当時を知る元社員は語る。「彼の頭の中にあったのは、自社の売り上げだけではなかった。天神全体がどうすれば輝くか、そればかりを考えていた」。その広い視野こそが、現在の福岡の繁栄の礎となっていることは疑いようがない。