実戦でのデメリットが際立つ二丁拳銃ですが、歴史を遡ると「合理的な理由に基づいて2挺以上の銃を携行していた時代」が確実に存在しました。その鍵を握るのが、銃器の装填機構の歴史的進化です。
17世紀から18世紀の海賊全盛期、黒色火薬と鉛玉を銃口から棒で押し込んで装填する「フリントロック式ピストル」は、1発撃つと再装填に20秒から40秒以上の時間を要しました。船上での乱戦においてリロードの時間は命取りとなるため、海賊船長エドワード・ティーチ(黒髭)などは胸に特製の革バンドを巻き、4挺から6挺ものピストルを吊り下げて突入しました。これは同時に2挺を乱射するためではなく、「撃っては捨て、次の銃を即座に引き抜く」ための連続使い捨てシステムでした。
19世紀中盤のアメリカ西部開拓時代、西部劇の「ガンスリンガー(早撃ちガンマン)」たちが2挺のリボルバーを腰に差していた理由も同様です。当時の主力であったパーカッション式リボルバー(コルトM1851など)はシリンダーへの火薬と弾丸の充填に分単位の時間を要し、金属薬莢式のコルトSAA(シングル・アクション・アーミー)が登場した後でも、装填ゲートから1発ずつ排莢・装填を行う構造上、素早いリロードは困難でした。名高きガンマンであるワイルド・ビル・ヒコックらが2挺の銃を帯びていたのは、「合計10〜12発の弾薬を即座に撃てる保険」としてのバックアップ携行が目的であり、両手で同時に引き金を引くスタイルはほとんど行われていませんでした。