太地喜和子を語る上で欠かせないのが、誰に対してもオープンで嘘のない、情熱的な恋愛遍歴です。「恋をしなければ女優として枯れてしまう」「男の人はみんな素敵」と公言してはばからなかった彼女の周囲には、常に日本を代表する名優や表現者たちの姿がありました。
1974年、俳優の秋野太作(当時は津坂匡章)と電撃結婚を発表。世間を大きく賑わせましたが、その結婚生活はわずか3ヶ月足らずで終止符を打ちます。後に双方が語ったところによると、不和や争いがあったわけではなく、「誰か一人の所有物になること」「家庭という制度の枠に収まること」が、太地喜和子という自由な魂には本質的に合わなかったことが原因でした。離婚後も二人は良き友人、良き表現者仲間として互いをリスペクトし続けました。
その後も、名優・三國連太郎との熱烈なロマンスや、歌舞伎界の風雲児・十八代目中村勘三郎(当時は五代目中村勘九郎)との深い親交など、数々の浮名が報じられました。特筆すべきは、コメディ界の天才・志村けんとの特別な関係です。
太地喜和子は志村けんのコントにおける笑いの間や哀愁を「最高の芸術」と絶賛し、プライベートでも頻繁に酒を酌み交わす無二の飲み友達でした。志村けんもまた、彼女の飾らない人柄と圧倒的な色気に深く惹かれ、互いに深い敬意を抱いていました。単なる色恋沙汰にとどまらず、魂の底で響き合う表現者同士の純粋なリスペクトがそこにありました。