城山稲荷神社の起源は、寛永15年(1638年)に徳川家康の孫である松平直政が信濃国松本藩から出雲国松江藩へ移封された時代に遡ります。藩政資料および神社の社伝によると、直政公が初入国した際、夢枕に一人の美しい童子姿の神が現れ、「我を城内に祀らば、藩内平穏にして火難・水難を除き、武運を永く保たしめん」と告げたと伝えられています。
この神託を受けた直政公は、かつて信州松本の別邸に勧請していた稲荷大神を松江城郭内の北西(戌亥の方角=乾の天門)に当たる現在地へと手厚く遷座させました。城郭の鬼門を封じ、藩政の中枢を守護する絶対的な祈祷所として位置づけられたのです。
江戸期を通じて歴代藩主の崇敬は極めて篤く、城内武士のみならず城下の町民にも月次の参拝が許されていました。その歴史的背景が、今日まで続く「武家守護の厳格さ」と「庶民信仰の温かさ」が共存する独特の空気感を生み出しています。