1950年代中盤、日本映画界は空前の活況に沸いていた。その中心地であった東映京都撮影所で、ひときわ端正な美貌と確かな演技力で頭角を現したのが北川町子だった。彼女のキャリアを決定づけた一本といえば、巨匠・内田吐夢監督がメガホンをとった1955年の名作『血槍富士』にほかならない。
内田吐夢といえば、妥協を一切許さないリアリズム演出で知られた鬼才である。封建社会の矛盾を鋭く抉り出すこの時代劇において、北川町子は過酷な運命に翻弄される女性の悲哀を、抑制の効いた眼差しと繊細なしぐさで見事に体現した。大げさな身振り手振りに頼らず、沈黙の中で感情を語らせる彼女の表現スタイルは、同時代の映画評論家からも絶賛を浴びることとなった。
時代劇が娯楽の中心だった昭和映画の黎明期において、彼女が見せた凛としたリアリティは、東映時代劇の質を一段引き上げる大きな原動力となったのである。