高嶋家の教育方針は、昭和の時代においては極めて異色であり、先進的でもあった。かつて東芝EMIの伝説的な音楽プロデューサーとしてザ・ビートルズを日本に広めた父・高嶋弘之さんは、未知代さんがダウン症候群と診断された当時から、彼女を過剰に甘やかすことなく育て上げた。
「我が家では全員が平等。特別な配慮などない」という家庭環境の中で、未知代さんは一人の人間としての自立心を育んでいった。幼い頃のちさ子さんに対しても、父・弘之さんは「お姉ちゃんを守りなさい」と言い禁じたという。しかしそれは、重荷を背負わせるという意味ではなく、家族として当たり前に助け合う姿勢を体に叩き込むことだった。