大砲の起源を辿ると、古代の投石機(カタパルトやトレビュシェット)の時代を経て、13世紀から14世紀の中国(宋〜元代)で開発された「火槍」や青銅製の「銃筒」に行き着きます。この火薬兵器の技術がシルクロードやイスラム世界を経由してヨーロッパへ伝播し、強固な城壁を打ち砕く「射石砲(ボンバード砲)」へと大型化していきました。
日本における戦国時代の大砲伝来の経緯も極めてドラマチックです。1543年の種子島への鉄砲伝来から遅れること数十年、1576年頃に豊後のキリシタン大名・大友宗麟がポルトガル船から入手した「フランキ砲(仏郎機砲)」が日本初の大砲導入とされています。宗麟はこの威容に歓喜し、城をも崩すという意味を込めて「国崩し(くにくずし)」と命名しました。
大砲が日本の歴史を決定づけた最大の舞台が、1614年の「大坂冬の陣」です。徳川家康はイギリスやオランダの商人から最新鋭の長距離砲である「カルバリン砲」や「セーカー砲」を買い集め、大坂城天守に向けて昼夜を問わず猛烈な砲撃を浴びせました。この砲弾が天守の淀殿の居室近くに着弾したことで城内はパニックに陥り、難攻不落を誇った大坂城の和議締結へと一気に傾いた事実は、大砲がもたらした心理的・軍事的大転換点として語り継がれています。