1924年(大正13年)に生まれた竹下登は、早稲田大学商学部を卒業後、地元・島根で英語教員や青年団活動を経て政界へ足を踏み入れました。1951年に島根県議会議員にトップ当選し、1958年には34歳の若さで衆議院議員に初当選を果たします。
国政進出後の竹下を象徴するのが、徹底した「気配りと調整能力」でした。佐藤栄作派閥に所属したのち、田中角栄率いる木曜クラブ(田中派)の官房長官や大蔵大臣などの要職を歴任。「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」を信条とし、敵を作らない根回しの政治スタイルで党内に確固たる人脈を築き上げました。
抜群の数字感覚と財政知識を買われ、蔵相時代には1985年の「プラザ合意」に日本代表として署名。急激な円高の引き金を引くなど、国際金融の舞台でも主導的な役割を果たしました。こうして着実に実績と人脈を積み上げた竹下は、1987年11月、中曽根康弘の後継指名を受けて第74代内閣総理大臣に就任します。