李承晩ラインの宣言は単なる外交的声明にとどまらず、現場の海域では日本の民間漁船に対する実力行使へと発展しました。海上保安庁の統計データによると、1952年から1965年の日韓漁業協定締結に至るまでの間に、拿捕された日本漁船は328隻、拘束された乗組員は3,929人、そして銃撃等による死傷者は44人(うち死亡5名)という甚大な被害を記録しています。
その中でも日本社会に最も強い衝撃を与えたのが、1953年2月4日に発生した第一大邦丸事件です。済州島沖の公海上で正当に操業していた福岡県の漁船「第一大邦丸」(定員18名)に対し、韓国の警備艇が無警告で接近し、至近距離から銃撃を開始しました。逃走を図る漁船に対して小銃や機関銃による容赦ない銃撃が浴びせられ、船長の瀬戸重男さん(当時34歳)が後頭部に被弾して非業の死を遂げたのです。拿捕された船員たちはそのまま韓国へと連行されました。
非武装の民間人に対して軍事的な火器を用いて命を奪うという残虐な拿捕劇は、西日本の漁業関係者を恐怖の底に突き落としました。当時、生計を立てるために海に出る漁師たちは、いつ韓国警備艇に捕捉され発砲されるか分からない極限の緊張感の中で操業を余儀なくされていたのです。