合戦に勝利した義家を待っていたのは、平安京の冷淡な拒絶だった。白河法皇をはじめとする朝廷首脳部は、後三年の役を国家の戦争ではなく「地方豪族と受領の私闘」と断じ、一切の恩賞を出さなかったのである。
ここで義家が取った行動が、日本史の潮流を決定づけた。彼は私財を投げ打ち、従軍した坂東武者たちに自腹で恩賞を配分した。朝廷に見捨てられた武士たちは、国家ではなく義家個人に命を預けることを誓う。公地公民制の残骸の中から、主従の私的契約に基づく「武家社会」の原型が産声をあげた瞬間だった。
合戦に勝利した義家を待っていたのは、平安京の冷淡な拒絶だった。白河法皇をはじめとする朝廷首脳部は、後三年の役を国家の戦争ではなく「地方豪族と受領の私闘」と断じ、一切の恩賞を出さなかったのである。
ここで義家が取った行動が、日本史の潮流を決定づけた。彼は私財を投げ打ち、従軍した坂東武者たちに自腹で恩賞を配分した。朝廷に見捨てられた武士たちは、国家ではなく義家個人に命を預けることを誓う。公地公民制の残骸の中から、主従の私的契約に基づく「武家社会」の原型が産声をあげた瞬間だった。