皇居・二重橋の勘違いと歴史の真相!渡れる日や2026年最新観光ガイド

皇居・二重橋の勘違いと歴史の真相!渡れる日や2026年最新観光ガイド

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皇居前広場に立ち、皇居正門に向かってカメラを構える観光客の多くが「あの2つのアーチを描く美しい石橋が二重橋だ」と口にします。しかし、宮内庁の公式記録および歴史的公文書に照らし合わせると、これは決定的な勘違いです。

正門から皇居宮殿へと続くアプローチには、手前と奥に2つの橋が架けられています。手前にある美しいアーチを描く橋は「正門石橋(せいもんいしばし)」と呼ばれ、めがねのレンズのように2つの半円が水面に映ることから通称「めがね橋」とも呼ばれます。一方、その奥に架かる重厚な金属製の橋こそが、正式な「正門鉄橋(せいもんてっきょう)」、すなわち本来の「二重橋」です。

では、なぜ奥の鉄橋が「二重」と呼ばれるようになったのでしょうか。そのルーツは徳川家康が築城した江戸時代初期に遡ります。

当時、この場所は非常に深い濠(西の丸下乗橋濠)であったため、当時の土木技術では1本の長大な橋桁で濠を渡すことが困難でした。そこで幕府の工匠たちは、濠の底に頑丈な橋脚を立ててまず下段の木桁を組み、その上にもう一層の橋桁を載せるという「橋の上にさらに橋を架ける二重構造」を採用しました。この特異な二層構造を見た庶民が「二重橋」と呼ぶようになったのが名前の発祥です。

明治21年(1888年)の宮殿造営時に鉄橋へと架け替えられ、構造としての二重構造は解消されましたが、呼び名としての「二重橋」はそのまま継承されました。現代では、手前の石橋と奥の鉄橋の2つが重なって見える景観そのものを総称して広義の「二重橋」と呼ぶケースも増えていますが、歴史的・厳密な定義としては奥の正門鉄橋こそが真の二重橋です。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。