ネット上や文学ファンの間で、放哉は時に「救いようのないクズ」と評されることがあります。その理由は、彼が残した数々の身勝手なエピソードにあります。
世俗を捨てた放哉は、京都の一燈園(宗教的共同体)や知恩院塔頭の大受庵、福井県小浜の常高寺、神戸の須磨寺大師堂などを寺男として転々としました。しかし、行く先々で禁酒の誓いを破っては酒に溺れ、寺の住職や檀家と大喧嘩を起こしては追い出される生活を繰り返したのです。
さらに放哉は、学生時代の友人や俳句の師である荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)に対し、「金を送ってくれ」「煙草がないと死んでしまう」といった無心の手紙を何十通も送り続けました。恩人からの忠告にも逆ギレすることさえありました。常識的な社会人から見れば、まさに破綻者そのものです。
それでも周囲の友人たちが彼を完全に見捨てられなかったのは、その奇行の裏に「他者とつながりたいのに、プライドと不器用さゆえに傷つけてしまう」という剥き出しの純粋さと弱さがあったからです。放哉は自らの愚かさを誰よりも自覚し、その苦悶をそのまま俳句へと昇華させていきました。