今日ではクラシック音楽の入門曲として不動の地位を築いている『乙女の祈り』ですが、19世紀中盤から20世紀初頭にかけての音楽批評界では、驚くほど厳しい言葉で糾弾されていました。ロシアの巨匠ピアニストであり作曲家のアントン・ルビンシテインをはじめとする当時の権威ある音楽家や批評家たちは、この曲を「サロンの俗物趣味」「音楽的価値のない感傷的なゴミ」と切り捨て、教育的価値を真っ向から否定した記録が残されています。
激しいバッシングの引き金となったのは、1859年にパリの大手音楽誌『レヴュー・エ・ガゼット・ミュジカル』の付録楽譜として掲載されたことでした。ワルシャワの無名な女性が書いた素朴なピアノ曲は、同誌の掲載を機にフランスからドイツ、イギリス、アメリカへと瞬く間に飛び火し、当時の印刷技術の向上も相まって数十万部を超える異例のメガヒットを記録します。プロの演奏家ではなく、一般市民がこぞって楽譜を買い求めた現象こそが、エリート主義的な批評家たちのプライドを逆撫でしました。
背景には、19世紀半ばの産業革命によって台頭したブルジョワ中産階級の「家庭音楽(ハウスムジーク)ブーム」があります。当時、家にピアノを置き、令嬢に演奏を習わせることは上流階級へのステータスシンボルでした。そうした家庭のサロンで大流行した親しみやすい小品は、難解で複雑な対位法や壮大なソナタ形式を信奉する男性優位の批評家層から「素人受けを狙った安直な音楽」として激しい攻撃対象となったのです。
音楽社会学の視座に立てば、この酷評は音楽的な完成度そのものへの評価というよりも、「大衆に消費される女性アマチュア作家の音楽」に対する既得権益層の拒絶反応であったと分析できます。しかし、厳しい批判を浴びながらも人々の心をつかんで離さなかった事実こそが、時を超えて生き残り続けるメロディの強靱さを証明しています。