県外からの旅行者が新潟のへぎそば専門店を訪れた際、最初に驚くのが薬味皿です。そこには見慣れた緑色のワサビではなく、鮮やかな黄色の「和辛子」が堂々と鎮座しているケースが少なくありません。ネット上の一部レビューでは「蕎麦にからしを出すなんて手抜きではないか」「観光客向けの奇をてらった演出か」といった誤解も見受けられますが、これは完全な事実無根です。
へぎそばの薬味にからしを使う理由には、越後山間部の厳格な地理的要因と食文化の知恵が宿っています。本わさびの生育には清涼で年間を通じて一定温度を保つ豊富な湧水が不可欠ですが、豪雪と粘土質土壌が広がる魚沼山間部では自生に適した環境が極めて限られていました。流通が未発達だった時代、高価な生わさびは庶民の手に入らなかった一方、寒冷地でも頑健に育つ「からし菜」の種子をすり潰した和辛子は、どの家庭でも自給可能な身近な香辛料だったのです。
さらに味覚の設計としても、布乃利をつなぎにしたへぎそばは海藻の微かな潮の香りと豊かな旨味を内包しています。刺激が直情的なからしと、香ばしいすり胡麻をつゆに合わせることで、布乃利のまろやかな風味を打ち消すことなく、輪郭のくっきりとした切れ味を生み出すことができます。近年では観光客向けにわさびを選択できる店も増えていますが、本場を体験するならば、箸先に少量のからしを直接つけ、つゆにくぐらせて啜るのが通の嗜みです。