なぜ、これほど複雑な行政区画が生まれたのだろうか。その根源を探るには、幕末の歴史にまで時計の針を戻す必要がある。
1853年、アメリカのペリー艦隊が浦賀沖に飛来した。黒船の脅威に直面した江戸幕府は、急ピッチで海防陣地の構築を迫られた。このとき、海上砲台(台場)の建設を建言したのが、伊豆韮山代官を務めた異色の農政家であり兵法家でもある江川英龍だ。彼の指揮のもと、海上に人工島がいくつも築かれた。これがまさに「お台場」という地名の由来である。
当時、第13代将軍であった徳川家定の治世において、将軍のお膝元を守る「御台場」として整備が進められたこれらの陣地は、明治維新以降、防衛上の役目を終えて放置されたり埋め立てに使われたりした。戦後の高度経済成長期を経て、旧海軍の用地や東京都の埋立事業が統合されていく過程で、従来の沿岸部の行政区(港区・品川区・江東区)がそれぞれの権利主張や埋立地の所有権を協議した結果、現在の3区分割という独自の地図が描かれるに至った。