二つの歴史書が生まれるきっかけを作ったのは、壬申の乱を制して強い権力を持った天武天皇である。7世紀後半、当時の朝廷は内乱による混乱を収拾し、天皇を中心とする中央集権国家を打ち立てる急務に迫られていた。各豪族が語り継ぐ異なった帝紀や本辞を統合し、国家としての公式見解を打ち出す必要があったのだ。
天武天皇が目指したのは、国内の結束を高めるための天皇家の由緒正しき物語と、世界基準(当時の東アジア基準)に耐えうる外交用の正史という、性格の異なる二本柱の確立であった。この国家的な二重戦略こそが、短期間のうちに酷似しながらも性質の異なる二大巨編が並行して作成された最大の理由である。