現在でこそ全国的に定着した「6次産業化」という言葉だが、その概念が広まる遥か以前から実践してきた先駆者こそが王隠堂誠海氏だ。昭和40年代、農薬や化学肥料を多用する近代農業のあり方に疑問を抱いた王隠堂氏は、周囲の猛反対や幾多の失敗を乗り越えながら、いち早く有機農業・特別栽培農産物の普及に心血を注いだ。
生産者の生活を守り、消費者に安全で安全な食を届けるため、生産部隊としての株式会社王隠堂農園と、加工・販売・体験を担う株式会社農悠舎王隠堂を立ち上げ、強固な地域循環モデルを構築。生産から加工、そして食卓へ直接届ける一貫したシステムは、日本の地域再生における金字塔として今もなお高く評価されている。