地上波のプライムタイムドラマにおいて、主要登場人物の心の声という核心部分に「字幕を付けない」判断を下すことは、テレビ制作の常識からすれば極めて異例の冒険でした。この演出方針の背景には、チーフプロデューサーをはじめとする制作陣の明確な計算がありました。
番組公式インタビューや制作発表記者会見の証言によると、制作陣が最も重視したのは「侑里の孤独と戸惑いの追体験」でした。侑里は目が合うと他人の本音が聞こえてしまう体質ゆえ、他者と深い関係を築けず、心を閉ざして生きてきました。しかしテオの心の声だけは、母国語である韓国語で流れてくるため、意味が理解できません。侑里にとってその「理解できないこと」こそが、誰の思考にも侵食されない最大の安心領域となったのです。
もし画面に日本語字幕を出してしまえば、視聴者は神の視点でテオの本音を知り、「テオはこう思っているのに侑里は鈍感だ」という乖離が生まれます。あえて字幕を排除することで、視聴者は侑里と全く同じ情報量でテオの視線、声のトーン、わずかな口角の動きに全神経を集中させることになりました。結果として、視覚的・聴覚的なノンバーバルコミュニケーションの豊かさが際立ち、視聴体験としてのエンゲージメントが劇的に高まったのです。