福士政一が刺青標本を収集した理由は、大きく分けて「医学的解明」と「民俗・美術的保存」という2つの明確な目的がありました。
明治政府による近代化政策の下、刺青は「旧習」「野蛮」として厳しく取り締まられ、法的な規制対象となっていました。しかし、江戸時代から職人や火消し、飛脚たちの間で培われた日本の手彫り刺青は、浮世絵の構図と高度な色彩技術を受け継ぐ世界最高峰の肉体美術でした。福士は「このままでは世界に誇る日本の伝統工芸が歴史の闇に葬り去られてしまう」と強い危機感を抱いたのです。
標本の収集にあたり、福士政一は被刺青者たちと深い人間関係を結びました。未完成の刺青がある人物には自腹で施術費用を用立て、病気や生活苦にあえぐ者には無償で治療や生活支援を行いました。その対価として結ばれたのが「死後に皮膚を医学標本として提供する」という生前契約です。決して遺体を冒涜する行為ではなく、互いの信頼と合意に基づいた厳正な学術的アーカイブでした。