歴史を紐解くと、この地域の骨格は1930年代の都市計画にまで遡る。当時の小田急電鉄が描いた「都市近郊の緑豊かな住宅地」というビジョンは、戦後の急激な人口増加に伴い形を変えながらも、道幅の広さや整然とした区画として今もなお受け継がれている。
中央林間のような乗り換え拠点としての慌ただしさはなく、東林間ほど純粋な住宅特化でもない。歩道が広く取られたメインストリートを歩くと、空が広く感じられることに気づく。高層マンションが建ち並ぶ都心部では味わえないこの「視界の抜け」こそが、都市生活に疲弊した人々を惹きつける大きな要因だ。