兵庫・能福寺の歴史と兵庫大仏の真実!平清盛廟から御朱印・見どころまで徹底解剖

兵庫・能福寺の歴史と兵庫大仏の真実!平清盛廟から御朱印・見どころまで徹底解剖

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能福寺の境内中央に鎮座する兵庫大仏(宝冠阿弥陀如来坐像)は、像高約11メートル、台座を含めた総高約18メートル、重量約60トンを誇る巨大な青銅製仏像です。穏やかでありながらどこか鋭い眼差しは、港町・兵庫の海と街を1世紀以上にわたって見守り続けています。

初代兵庫大仏が建立されたのは、明治維新後の1891年(明治24年)のことでした。豪商・南条荘兵衛の寄進によって造立され、奈良・東大寺の盧舎那仏、鎌倉・高徳院の阿弥陀如来と並んで「日本三大仏」と謳われ、全国から参拝者が押し寄せました。当時の絵葉書や記録文書には、兵庫港に入港する外国船の船乗りたちが、遠く海上からでも視認できた巨大な仏像に目を見張ったという証言が残されています。

しかし、初代大仏には悲劇的な運命が待ち受けていました。太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)5月、国家総動員法に基づく「金属類回収令(金属供出)」により、大仏は解体・搬出を余儀なくされたのです。国威発揚と武器生産の資材として姿を消した瞬間は、地域住民にとって信仰の拠り所を奪われる深い痛恨の記憶となりました。

現在の姿は、終戦から長い年月を経た1991年(平成3年)5月に、開基1200年祭記念事業として再建された「2代目」です。解体時に秘匿・保管されていた初代大仏の金属片を溶融して胎内に混入させ、魂を継承したこの仏像は、単なる観光名所ではなく、平和への祈りと戦後復興の記念碑としての重みを有しています。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。